醤油は醤(ひしお)の一種である。醤は、広義には「食品の塩漬け」のことを指し、その素材により、
* 肉の塩辛は「肉醤」(ししびしお)
* 魚の塩漬けは「魚醤」(うをびしお)
* 果物や野菜の塩漬けは「草醤」(くさびしお)
* 穀物の塩漬けは「穀醤」(こくびしお)

と呼んで区別される。 たとえば、「うおびしお」(魚醤(ぎょしょう)と区別するため、ここでは「うおびしお」と表記する)は、イカや魚の塩漬けであり、イカの塩辛なども「うおびしお」の一種である。 また、「くさびしお」は、現在の「漬物」が該当する。 そのため、日本における醤の起源は、魚や植物を塩漬けにして保存した縄文時代まで遡ることができる。
醤油は麹を用いて製造することが特徴である。麹を用いた発酵食品は中国を起源として、5〜6世紀頃に中国で作られ、その技術が日本に持ち込まれたものであると考えられる。
紀元前8世紀頃の「周礼」で、「醤」という漢字が初めて使われた。この醤は肉の塩漬けであったようである。
500年頃の中国の『斉民要術』に、現代の日本の醤油に似た醤の製造法が記述されている。
日本では701年の「大宝律令」に、醤を扱う「主醤」という官職名があり、この時代は既に日本に醤があったとされる。
923年公布の「延喜式」には醤製造に関する言及があり、この時代、京都には醤を製造・販売する者がいたことが分かっている。
現在の醤油の直接の起源とされているのは金山寺味噌である。 伝承によれば、13世紀頃、南宋鎮江(現中国江蘇省鎮江市)の金山寺で作っていた、刻んだ野菜を味噌につけ込む金山寺味噌の製法を、紀州(和歌山県)の由良興国寺の開祖法燈円明國師(ほうとうえんめいこくし)が伝え、湯浅周辺にも金山寺味噌作りが広まった。この味噌の溜(たまり)を調味料として使うとおいしいことを発見したことから、液体の醤油作りが始まった。この「たまり」が、現代につながるたまり醤油の原型とされている。これに関しては伝承のみで、当時の文献や証拠品による裏付けがないが、ある程度以上には真実を含んだ伝承だと考えられている。
しょうゆという語は15世紀ごろから用例が現れる。1470年頃の「文明本節用集」に、漿醤に「シヤウユ」とルビが記載してある。1597年、「易林本節用集」という辞書で、はじめて「醤油」という語が使われた。(ただし、『鹿苑日録』1536年の日付の記述の中に既に漿醤という語が、山科時継の日記『言継卿記』の1559年の記述に「シヤウユウ」という語が、『多聞院日記』1568年十月二十五日の記述に「醤油」という語が既に使われているという指摘もある)
日本国外への輸出は1647年にオランダ東インド会社によって開始された。伝承によればルイ14世の宮廷料理でも使われたという。フランスでの日本産醤油に関する記述は、『百科全書』(1765年)に現れる。ちなみに当時の記録によると腐敗防止の為に、醤油を一旦沸騰させて陶器に詰めて歴青で密封したのだという。用いられたビンは「コンプラ瓶」と呼ばれた陶器の瓶であり、多数が現存する。
江戸時代初期までは、日本の醤油の主流はたまり醤油であった。しかし、たまり醤油は製造開始から出荷まで3年かかり、生産量が需要に追いつかなかった。人口が増加し、食品の大消費地になっていた江戸近辺で、1640年代頃の寛永年間に、1年で製造できるこいくち醤油の生産が開始された。
うすくち醤油は、1666年、現在の兵庫県で、円尾孫右兵衛によって開発されたとされる。
上記のとおり、中国で生産されていた醤、醤油の製法が日本に伝えられ、日本での製造が始まったという説が有力ではあるが、弥生時代に食塩に漬けておいた食品に天然酵母がとりついて醤に似た食品が生まれ、ここから醤油が中国とは別個に発明されたという説もある。